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ネズミの美しさは絵で表現するのがほぼ不可能な域なのでは

  • 2014/07/12 03:28
  • Category:雑記

ずいぶんお久しぶりになってしまいました。うう、でもこれからしばらくは時間が取れそうなので頑張りたいと思います。つまり、今年も夏コミはスペース頂けました。

  • 8/16(土)東ホール"ぺ"31a

です。「ぺ」です。ありがたいことです。昨年はリアルに倒れて本人が参加できませんでしたが、今年は体調管理も万全にしていきたいと思っているところです。手始めに、しょっちゅう生姜を摂取しています。胃腸の冷えがもともとひどかったみたいで、生姜けっこう効きました。

さて、夏コミではなるべく続き物を終わらせたいと思い、調べ物などをやっているわけですが、そういえばコミックス版を通して読み返してなかったことに気づいたので今コミックス版をじっくり読み返しています。が、やはり尋常でない萌え感情に襲われてなかなか読み進めることができない。1巻につき2時間くらいかかる始末です。恐ろしい。

きの先生の絵はとてつもなく美しく、背景も丁寧で、あさの先生の味わい深い台詞が現代的な絵のなかに埋め込まれている、という奇跡が今でも信じられず、しかし、しかし美しい絵であるがゆえに、美しすぎて、いやネズミはもっとこう、怪しい感じなのではないかとか、うっすら背景が透ける感じなのではないかとか(※人間です)、いろいろ突拍子もない妄想が原作の名文とともに思い出され、ネズミは見ようと目を凝らせば凝らすほど見えない何か、星の王子様が言っていたあのアレのようなものなのではないか、と、日記タイトルのようなことを考えるに至ったわけです。NO.6コミックス版ということで、きの先生はそのような少年を絵に表すという難題に果敢に挑まれ、そして実際これほどの勝利を収めている、本当に素晴らしい偉業であると思います。といって、まだ4巻までしか読めていないので(どんだけ時間かかるんだよ)、というか4巻の時点でなにかが溢れだして思わず日記を書いてしまう事態になったので、今後もまたなんか思いついたら吐き出しておこうと思います。この時点でこれだと、ビヨンドまで読み返したら再び魂が地殻に堕ちる可能性があり、たいへん危険です。

具体的には、4巻でコンクが出てきたあたりでニヤニヤが止まらなくなり、歩きまわっても外の空気を吸っても(※暑い)収まらなくなりました。コンクの一人称「おで」だったらよかったのになあ……よくないわ。さらにその前後で伝説のキスがあるし仕方がありません。ほんとね、あの殴り合い後の「きみと対等でいたい」は鬼や、紫苑は鬼っ子やで……と思わずにはいれらないわけです。それはつまりどうなりたいんだ、と。紫苑の考える対等っていうのはいったいどうなったら対等なのか。よくアレ、意識高い感じの人が言うじゃないですか、「ゴールを定めたらそこから逆算して今やるべきことを導き出せ」というようなことを。言わないかもしれないけど。たとえば「サッカー選手になりたい」だったら今は基礎体力向上のために毎日10キロ走る、とかそんな感じのことです。対等というと、なにをどうしたら紫苑は満足なのかと。軽く問い詰めたい。それに紫苑は全然そんなつもりないだろうけど、ネズミからしたら「対等でいること」を要求されてるみたいな感じになっちゃうかもしれない。ネズミはその時点ではだいたい受動的に生きてるので、もう絶対混乱する。ストレートな要求なので、要求を要求として感じ取った時点でもはや対等じゃない。はい。つらい。そこが萌える、そういうわけです。これらを考えながら読んでたらそりゃあ時間がかかる。つらい。萌える。

サルトルは人間は自由という刑に処せられている、と言っており、ネズミは他者からの影響を受けているようでいて実は自由意志でそれを選択している、そのことに気づいていないに過ぎない。アンガージュマン。このへんの西洋哲学はたいへん難しいので漫画で読みました。「シュレディンガーの哲学する猫」という漫画で、原作は小説だそうです、シュレ猫(擬人化されたシュレディンガーの猫)の目つきがちょっとネズミっぽいなと思っています。ツンデレーションの権化でした。あと、ブラックラグーンにちょっとだけハマっています。西ブロックはロアナプラみたいな感じなんじゃないかな、イヌカシホテルは例の暴力教会みたいになってないかな、などと妄想しながら読みますが、下品とエンタメっぽい中二的暴力を許容できないと厳しい(=面白く感じない)と思います。私はわりと許容というか二次元限定で好物なのでよかったです。

ではコミックス版の続きを読みに戻ります。

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