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beyond再考メモ(ちょっと追記)

  • 2013/03/19 17:58
  • Category:雑記

みなさんの素晴らしいbeyond本を読んでるうちに、自分の考え方がどうもだいぶおかしいなと思い始めたのでメモります。なんで自分がショック受けなかったのかちょっと分かってきた気がしてきました。そしてマジだいぶ恥ずかしい長文語りなので畳みます。

紫苑の恐怖統治みたいなのを予感させる「紫苑の日々」が多分争点というか、みんな気にするところなんだろうなあと思っていたし、数少ないネットサーフィンの中で納得はしてたんですが、自分はわりとそこ「あーあるある」って思ってスルー気味だったのが自分でもクソ不可解でですね。本編でも怪物とか怖いとか言われてるし、それもネズミだけじゃなくイヌカシまでそんなふうに思ってるので、オッケー予想の範疇です!みたいな気分で読んでたわけです最初は。

でもこれ、全然世間様はそうじゃないっぽくて、紫苑がこうなるとダメなのかそうか、私の感性が鈍いんだろうなと単純に考えてたんだけど、よくよく考えたら私はそうじゃなくて、もっとなんていうか、キャラそのものよりストーリーの骨組みみたいなのを先に透かして見て安心してたっぽいなと思うようになりました。だからおかしい……。というか多分、キャラ単体で見ようとしてなさすぎるんだと思うんです私は。全部混ざって好きみたいな。

それはどういうことかというと、紫苑が独走して大変なことになる未来って多分当たり前にあって、そこを読者に紫苑の目を通して考えさせたくて書かれた物語なのかなと思うんだけど、ただその未来に明確なカウンターパートとして(小道具的に)用意されている紫苑の父親もまたあって、父親の思想が紫苑の暴走のストッパーになり得ることが自分ではすんなり想像可能だったからか……と。今までは対偶にあったのがネズミなので見えにくい気もしますけど。本編終了時点では完全に味方になっちゃってるからなぁ。

以前どこかで書いたかもしれませんが、あさの先生はわりと物語的な詰めではなく瞬間を切り取るほうを重視される方だと思うので(※バッテリーのラストがごく軽いトラウマ)、だから「結末が確定する」話じゃなくて臨場感とか、キャラ個人の悩みそのもの(無論解決策は用意しない)とか、それで読者がキャラに寄り添う、感情移入できる文学になってると思うんですけど。ゆえに紫苑のキャラは掴みにくいどころの騒ぎじゃないみたいな、だから深読みしにくいし、フラグだと思ったものがフラグでないこともよくあるんですけど、beyondについては「続きがありそう」って少なくともみんな思ったと思うので、なので多分今までよりキレイにフラグが見えるんだろうなと思ったりしました。単に続きが読みたい、ではなく「ありそう」と思わせるのがフラグや引きの真価っていうか。とくに児童書ゆえに、なにかを考えさせるために、より多く書かれないこともあるのかもしれません。

こういう読み方は私のまさに悪癖であって、本当はストーリーにのめり込んでキュンキュンしたいのに、なんで素直に萌えるとかできないんだって絶望しかないんですけど。でもこんな回りくどい読み方をしてるおかげで、紫苑が怖いっていうのはもう一つの通過点ぐらいの感じで終わっちゃったんだろうなあと。

それにしても、一面とか一点を全部だとは思わない、みたいな考え方に沿ってキャラを自分で作ったりるとすごくブレる場合があるので、創作をがんばりたいわりに基礎がなってない私です。紫苑の暴走的な一面は、その顔をよく知ってるのがネズミだけだ、という見せ方にすると普通にラブなので、それはそれでいいし。本編が少年たちの自我形成の物語なら、外伝はその自我を守るためになにかを身にまとう成長期の話っぽいなと思うところもあり。まとめると「紫苑くんはまだ本気出してないだけ」になるのか?と思いました。(本気出してない、の自由度の高さパネェ)

こんなに長く語ろうとしたの久しぶりで疲れましたしかもイマイチ伝わる自信がない……。自分のダメさを常に露呈してるだけですけど、まあ今まで言語化できなかったこういう考えの末に紫苑パパの話書きたくなったんだなという、非常にどうでもいい自己分析でした。

紫苑のようにギリギリですべてのネガティブフラグを回避して生きていける人は、自分で自分の幸運さには決して言うほど気づかないし、そこが容易に周囲に劣等感を抱かせる、反感を持たれやすい一面になり得るので、まあこの子案外嫌われるだろうなあとか、でもそれも普通に読んじゃってた。紫苑は人が嫌いなんじゃなくてわりと興味がないんじゃないかなあ……とかもずっと思ってますね。無関心というか。死に際だったら助けるけどな、みたいな。人間に見える相手がネズミだけだったとか本当にかわいそうなのは紫苑かもしれない。他人に思えない……(それも私が自己投影したいがために曲げて解釈してるだけなのでは)

少年漫画で言うと「倒すべき敵がいるあいだは強くなれる」期間継続中ってことなんですよね、あの父親は。私はそこがそれだけでめちゃくちゃ楽しかったんだと思います。自家発電にも程がある。もっと敵だらけのほうが面白いけど。人生は。

アッ人生とかわけわからないこと言い出したので終わります。

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終われよ……いや、ネズミと一緒にいない紫苑っていうのがそもそもツライのかなあと思い始めたりして、また。紫苑の視点で書かれてるから余計そうなのかな。一日千秋の思いで誰かを好きになるみたいなの、誰しも経験があると思うんですけど、そのときってそれ以外のこと記憶から消去されがちだけど、普通に時間は流れていくし自分で思ってるより自分はちゃんと生きてたりするし、加えて、私は別離萌えみたいなとこあるから大丈夫だったのかも。しれません。別離の一形態みたいな。そんで、ネズミ生きてるし、という。

誰かと二度と会えないってことは、けっこうある。冷静になる瞬間がきっと紫苑にもあるはずだと思ったりしました。窓を閉めるっていうの、WindowsからMacユーザになったのかなとか茶化すくらいツライわとは一瞬思ったんですけど、区切りっていうか。私は長期間の別離を経て再び実るみたいな話がもともと好きで(だから「李歐」好きなんですけど)、後悔と幸福が同時にあるのって、ストレートな恋愛が真っピンクだとしたら複雑で鈍い中間色みたいに思うので、その色合いが単に好きなんだと思います。

生きてるだけでいいと願った頃より、まあご本人の言うとおり貪欲になってるよねっていう、そういう見方しかできない貧しい人間なんでしょうね私は。もう自分で言ってて傷つくレベルのひどさ。あさの文学は瞬間を切り取るので、期間で考えないとよく分からない。一年は思ったより長いし、十年は思ったより短い。って、多分あさの先生も考えてるんじゃないかな、と痛い、痛いことを言っている自覚があるこれ。

紫苑さんの成長痛はとことん痛いほうが個人的に楽しいです。とんだドS発言で自分が心配です。NO.6のせいで人生狂ってると心の底から思います。

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